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6_8_1.jpgこんばんは~。
今日もちまちまノルマ分。洛姫です。
今日はこの間の続きで劇場版Zガンダムの3作目『星の鼓動は愛』のDVDを借りてきて、ROしながら流してました。
というわけで今日もガンダムっぽい話です。
長ーくなります(決定事項)ので、読んでくれる方は続きをぽちっとクリックしてやって下さい。

ZガンダムというのはガンダムシリーズのTV2作目に当たる作品です。これが作られたから、きっとその後のガンダムシリーズは作られたのですね。
ちなみに、今となっては軽く10以上の作品があるガンダムですけど、1作目とこれの間には、実に6年と言うブランクがあったりします。
色んな大人の事情を挟んでのガンダムの復活だったらしいのですけど、よくそんな微妙な間隔を開けて2作目を作ったなぁとか思ったり思わなかったり。
これが作られなかったら、確実にアニメ&ゲームの歴史は変わってると思うのですよ、うん。
さて、ネタバレ話です。
もう、劇場版すら放映されてから時間が経ち過ぎてるので、今更ネタバレもないだろうってことでぶっちゃける方向でGo。
まず、私がこれの劇場版を見ようと思ったのは、『TV版とラストが違う』という情報が事前にあったからです。
ちなみにTV版のZガンダムのお話は、一言で表すと『ピリピリして暗くて救われないお話』です。
偶然ガンダムに乗ってしまった主人公が、戦いの中でどんどんパイロットとして頭角を現して行きます。しかし彼を取り巻く世界の人は、みんな戦うことで頭の中はいっぱいいっぱい。もちろん彼だって一人だけ蚊帳の外ってわけには行きません。いっつもイライラピリピリ。そして自分の周囲の大人達はみんな勝手にそれぞれの主義や理想、価値観、そして彼らの都合を押し付けてきます。みんな勝手だ。人と人は判り合えない。少しでも心が通ったと思う人達は次々と死んでいってしまい、最終決戦に至る頃には主人公君は身も心も擦り切れてボロボロ。そしてラスト、壮絶な戦いの後に彼の精神は限界を向かえ、精神崩壊してしまう……。
そんな感じのTV版のストーリー。ひゃっほぅ救いがな~いっ。
しかし、劇場版の方はそのラストが違うものになると言う。
ちなみに、ラストに至る過程は基本的にTV版に沿った話が展開されます。
いつどこでどういう作戦が行われて、どんな行動を取ったかとか、そういうのは殆どがTVの時と同じでした。
しかし、ところどころで違和感を感じさせるところがちらほらあったりなくもなかったりもしなくもない(一択
……え~、ちょっと話が逸れますけど、劇場版Zは実は2種類の絵を使って作られています。
今回の映画を作るにあたって描き起こされた新しい絵と、20年前にTV放映で使っていたものに手を加えた絵の2種類。
で、20年前と同じ絵で、同じような台詞で話しているにもかかわらず、何故か受ける印象が違うって言う違和感。
なんと言うかですね、主人公君がTV版ほどピリピリしてないんです。
印象的だったのはあれかなぁ。
最終決戦の最中に、主人公君が宇宙空間の真っ只中で、宇宙服のヘルメットのバイザーを開けちゃう場面があります。これはTV版でも劇場版でも同じ。
シュチュエーションは、目の前で恋人を失った女の人に対する発言の中。これも同じです、と言うか同じフィルムでした。
受けた印象。先に劇場版の方は、茫然自失の女性にショック療法的な行動を取って正気に戻させたいという荒っぽいけど女性のための気遣い。
TV版だと、相次ぐ戦闘でかなり精神的に参っちゃってる主人公が茫然自失の女性に対して自分の中の苛立ちをぶつけるために取った行動。
ってか『あ~、壊れてるな~』って感じ(直球
いや、私が1回見ただけの印象ですけどね?
んで、結局。
別物になったラストは、主人公君は精神崩壊をしないで、ず~っと自分を追いかけてきたご近所さんの女の子と抱き合って生きてると実感するハッピーエンド。って言うか、なんかエロっぽく見えましたよ?
こういう終わり方になるには何が違ったのかな~と思った時に感じたのは、TV版の主人公君は戦いの中、どんどんどんどん自分を追い詰めて、周囲から孤立させていっちゃう。人と人はわかりあえないし、受け入れる事なんか出来ない。だから自分は人を殺して行くことしか出来ないんだーみたいな破滅の階段のーぼるーキミはもう死んでれらさー♪(謎)って感じなのに対して、劇場版の主人公君はちょっとだけ周りを見る余裕があって、人と人との繋がりをかなり明確に感じて受け入れてて、だから自分や敵となった人達が『それでも何が出来るのか』、『どこに帰ったらいいのか』とかをちゃんと感じられる余裕がある事。
劇場版Zでは、新規に描き起こされたシーンもあるんですけど、もともと全50話、時間にして25時間になる話を4時間半に圧縮したのだから本来なら全然余裕はないはずです。と言うか、実際かなり駆け足に感じたわけなのですが、ならばこそ、新規に描き起こされたシーンは重要なものばかりでなければおかしい。にもかかわらず、何故か新規描き起こしのシーンにはごく日常的な食事とかのシーンが多かったのです。
あ、そうそう。
余談ですけど劇場版で明らかに関係が変わった人達がいました。
さっきちょっと触れた目の前で恋人を失くした女の人と、その恋人さんです。
実はこの二人、TV版では恋人ではなく一方的な男の方の片思いだったのが、劇場版で『仲良くなった』という描き直され方をしているのです。
相変わらず男の方が女の方に好意を寄せている雰囲気なのですけど、女の方も表面的には軽く受け流してるように見えてしっかりとその距離を近づけています。
そう言うシーンが、つまり『それ』です。
新しく描き起こされて追加されたシーンで、それを見て周囲の人達も癒されたり希望を持ったりしてるんです。
結局、その二人は死んじゃうんですけど、主人公君はそういう人と人との繋がりをしっかりと感じ取ってて、それで最後に『自分は一人だ』みたいな心の迷路には迷いこまないわけなんでしょう……か?(疑問形
いや、もしかしたらTV版の重要人物の『4番目の人のキリマンジャロでの復活』とか『年上の妹の出現』とかがばっさり切られたから、心の重荷が、より軽減されてたのかもしれませんけど。
ああ、あともう一個、新規のシーンで印象的なシーンがありました。
それは本当にラスト。
最後の戦闘の決着は、Zガンダムが変形したウェーブライダー(飛行機みたいなものと思ってください)で敵のコクピットに体当たりして敵パイロット圧死、なのですけど、その後ゆっくりとウェーブライダーが変形を解除してZガンダムへと戻っていくんです。しかも、飛行機の羽とか尾翼とかになるパーツや、シールドとかがバラバラと外れながら。
え~と、何が言いたいかっていうと……え~と、え~と……。
つまり、あれなんですよ、アレ。
え~と、つまり戦闘が終わった事により、ウェーブライダーと言う『何か』から、『Zガンダム』という『人間の形』にゆっくりと戻っていったんです。羽とかそういった余計なものを全部取っ払った、『普通の人の形』。
これの主語を『Zガンダム』ではなく『主人公君』に置き変えて考えたら、なんか『あ~、終わった~、よかった~』みたいな感じがしません? っていうか、私はしたのですよ、ええ。
ただ、こう言う終わりだと余計な事まで心配しちゃうのですが……。
まず最大の問題点として、この終わりだと本来の続編の『ガンダムZZ』に繋がらないな~……とか。
『ZZ』の主人公は、Zの最終話直後、精神崩壊して戦えなくなってしまったZの主人公君の代打としてスカウトされた少年なのですが……Zの主人公君、バリバリ元気ですしっ!
もしかして、監督さん……『ZZ』は『無かった事』にしちゃったりなんかしちゃうんですかっ!?
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